猪俣小平六の墓(県指定旧跡)

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猪俣小平六の墓(県指定旧跡)

猪俣小平六は、小野篁(おののたかむら)の子孫で時資(ときすけ)の代に猪俣村に住んで以来、猪俣氏と称し、武蔵武士の猪俣党として勇名を馳せました。時範から数えて5代目の子孫が小平六範綱であり、源義朝に従い軍功を立て、義朝十七騎の一人として知られていました。また、頼朝に仕え、しばしば戦場において功績をあげました。建久3年(1192年)に死去し、墓は一族と共に高台院の一隅にあります。小平六没後、400年を経て猪俣一族は、豊臣秀吉によって滅ぼされ、美里の地を離散しますが、天正年間(1573~1592)の末、一族の小野満開なる行者が、小平六の守り本尊を背負って来村し、堂前山に草庵を営み、盆が来るごとに山頂に火を焚いて一族の霊を弔ったといわれ、これが猪俣の百八燈のおこりと言われています。

 

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    高台院

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住所 美里町大字猪俣1579
備考 指定年月日:昭和38年8月27日